てぃーだブログ › BAR SOHO 店主の日誌 › 苦しい時こそ笑って…

2012年08月20日

苦しい時こそ笑って…

夏の全国高校野球大会、3回戦の桐光学園戦で
敗れた浦添商の背番号18・阿嘉 将吾選手は、ピンチの伝令でナインを笑わせた。

苦しい時こそ笑って…
ナインを笑わせるネタを仕込み、伝令に駆け付ける阿嘉選手(左から2人目)

「苦しい時こそ笑って」の信念は、
3年半前に父・学さん(当時46歳)を亡くし、
笑顔を忘れた体験が原点だった。

この日、3度伝令に走った。
ピンチにこわばった顔でマウンドに集まる仲間の輪で、
小学生の頃の自分の写真を見せたり、
頬を両手の指でつまんで「変顔」を作ったり。
苦しい時こそ笑って…

初戦の愛工大名電戦では、
伝令に走る途中で転び、すぐに起き上がって両手を広げ、体操の着地ポーズを決めた。
球審に注意され、宮良高雅監督にも叱られた。
だが、宮里泰悠投手は
「あの瞬間、スタンドが沸いて、一気に沖縄ムードになった。
地元で野球をしている感覚になった」と振り返った。

阿嘉選手は、沖縄県読谷村(よみたんそん)で生まれ育った。
幼い頃は親族の前で歌手・氷川きよしさんの物まねをし、
文化祭では女子に混じってAKB48のダンスを踊って、周囲を笑わせてきた。

しかし、父が心筋梗塞で突然、亡くなった中学2年の冬だけは違った。
父は会社に勤めながら、病弱な母に代わって家事もしてきた。
そんな父に頼り切っていた自分を責めた。
口数が減り、遺影の前に何時間も黙って座った。

父が勤めていた会社の人から
「お前の父さんは、背中で部下を引っ張る立派な人だった」と聞いた。
厳しかった父が、職場では
「将吾は野球がうまくなった。打球が速くなった」と話していたと知り、心の整理ができた。
野球に再び打ち込み、仲間と笑い合うと悲しみが薄らいだ。
伝令を務めるようになった今春以降、笑いでナインを和ませてきた。

大会前の2日、かつての父の職場に招かれ、朝礼で約30人を前にあいさつした。
「父のために(甲子園で)暴れてきます」。
明るく言ったつもりだったが、父を知る人たちは号泣し、「がんばれ」と言って送り出してくれた。

試合後、阿嘉選手は
「負けたのは悔しいけれど、甲子園で自分らしさを出せた。
お父さんも喜んでくれたかな」と白い歯をみせた。
                             (2012年8月20日14時13分 読売新聞)


自分と同じ苗字の阿嘉くん。

グランド上での立ち振る舞い立派でした!

さぁ! 自分もお客様が笑顔になるようイッチョがんばりますか!! o(`・д・´)o ウン!!



Posted by a.k.a at 19:02│Comments(4)
この記事へのコメント
朝から、良い話をありがとうございます。

私もにこにこ元気でがんばります!(^O^)/
Posted by 砂川 at 2012年08月21日 08:09
砂川さん

砂川さんの周りは、
常に笑顔であふれているるようなイメージが・・(o^―^o)ニコ

いつもにこにこ元気にがんばって (@^▽^@)ニコッ
Posted by a.k.aa.k.a at 2012年08月21日 17:08
阿嘉くんが、日本学生野球協会から表彰されたそうです。何だか気持ちがホッコリ、としました。これからも笑顔を大事にしたいと思わせてくれる、阿嘉くんを応援したいと思います(*^o^*)ニコッ!
Posted by AI at 2013年01月19日 00:32
AIさん

情報ありがとうございます。
表彰されたこと知りませんでした。

学生野球協会さんも粋なことやってくれますね^^

おめでとう! 阿嘉くん! ですね^^
Posted by a.k.a at 2013年01月20日 17:42
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。